自分を主語にして生きる、を選ぶ
それをかなえる時に
パッかりと2通りの道が生まれる。
どういうことか?
その○○を
A:「してもらいたい」と思うか
B:「する」と思うか
A思考は、人が主語となる。
B思考は、自分が主語となる。
今日あなたが○○したいと思ったことがあったら
ぜひこのことを問いかけてほしい。
その時、無意識に感じた主語は、
他者ですか?
それとも自分ですか?
この無意識に・・・というのが重要なのだ。
他者依存が激しい人は、
本当に無意識に「他者」を主語にしている。
この二つは、幸福感・充実感という点で雲泥の差になる。
その道のどちらを選ぶのかは、
日ごろの無数の思考癖が結論を導く。
簡単な例を挙げよう・・・
今日は、黒豆の煮豆が食べたいとする。
A思考の人は、誰か作ってくれないかなと思う。
だから、作ってくれないと
不機嫌になって周りに八つ当たりをする。
これが夫婦だともっと甘えた関係になって、
黒豆を作ってくれないことにふてくされる。
妻は、自分で買ってきたら!(作ったら!)となり
夫は、なんで買ってきてくれないんだ!(作ってくれないんだ!)となる。
B思考の人は、
さっさと自分で買ってきたり
まめな人は自分で炊いたりする。
A思考の人は、いつまでも他者が主語なので
従順な召使のようなパートナーか、しもべがいない限り
永遠に不満をぶちまけることになる。
最後には、作ってくれた黒豆の味にまで
文句を言い始める。
さっさと自分でしてしまえば
その不平不満の日々と決別できるのに
そのことに気づこうともしない。
実に不思議なことだ。
これはあらゆるところで発生する2つの道だ。
生まれた赤ん坊が、
おそらく初めてBの道を貫かねばならぬ時・・・
それが受験だ。
だから、
何度も言っているが
自分の進路は自分で選ぶことが大切なのだ。
それを、自己決定感という。
ここで、親が言った学校、大人が言った学校を選ぶと
その子は、A思考人生からなかなか抜け出せないことになる。
さてさて、
昨日、お陰様で、
うちの塾では、全員
第一志望の高校に合格することができました。
本当に様々な方のおかげ様です。
ありがたいことです。
すべてが終わり、彼らに残るものは
このB思考を貫いたやり切り感、
また、充実感であり、幸福感・・・
自分で選び、自分が行動して
しかも、良い結果を得たというすがすがしさだ・・・
人生で、こんなに有意義で
すべての成長の種が詰まっている経験は
ほかにないのではないかとも思います。
だからこそ、
B思考であろうとする彼らに
大人が下手に口を出してはいけないのです。
B思考の先には、ホンモノの幸福感・充実感があるのです。
これからも彼らにはこのB思考、つまり
自分を主語に生きていってほしい。
これは、自分勝手に生きろということではありません。
その逆です。
自分がB思考でいることは
周りも明るくする力が育ちます。
幸せは、本当に伝染するからです。
そして、彼らには付け加えました。
次のステージ・・・
感謝から始めるんだよ・・・と。
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