令和buzz343・・・3%のために利用された教育
できない人を切り捨て
できるものだけが残れば言い的な施策・・・
という事実を書きました。
➡学力とは安心感のこと
つい最近の面談でお母さんにも
雑談としてお話させていただいた。
大変驚かれていました。
かわいそうではないか・・・
と涙ぐまれていました。
それもそうでしょう・・・
手塩にかけて育てた我が娘、我が息子が
そんな施策の元、切り捨てられ
落ちこぼされている・・・
誰もが耳を疑うでしょう・・・
しかし、事実なのです。
この施策はすでに、1963年から目論まれていました。
➡『経済発展における人的能力開発の課題と対策』
(経済審議会・人的能力部会、1963年)一部抜粋
このサイトのまとめを引用させていただきます・・・
・教育が大衆化してバカが増えた
・年功秩序と終身雇用が崩れ始め、人材の流動化が始まった
・こうした状況下、経済発展に貢献する「ハイタレント」の養成が急務に
・ハイタレントは国民の全階層からなるべく早く見つけて育てる
・対象は国民の3%、広くとっても6%
・天才や職人は不要で、チームワークを重視。
社会的責任感がないと危険人物になりうる
こうやって父たちの職人技が消されていきました・・・
1963年と言えば、白黒テレビが全盛で
ちょうどこれからオリンピックに合わせて
カラーTVを普及させようとし始めたころ・・・

カラーテレビ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
そのTVの長たちは、
大衆に遠慮もなくこう宣う・・・
#目覚めろ日本人
— 🕊💫るちあ💫🕊🌈 (@HxmwTb4IMp5rJ6G) December 1, 2020
これでもメディアを信じますか?
👇 pic.twitter.com/Ye66RadZO7
つまり、私が生まれようとする1963年に
片や、
自分で考える力を奪うTVで洗脳させ、
片や、
3%のエリートを作るためだけの教育
が制度として開始された・・・
端的にいえば、教育においても、社会においても、
能力主義を徹底するということである。
➡『経済発展における人的能力開発の課題と対策』
(経済審議会・人的能力部会、1963年)一部抜粋
明治の学生発布より、
明確な制度としては少なくとも
私が生まれたころからずっと
ひとりひとりの子どもに寄り添う教育など
1ミリもなかったことになる。
ある特別支援学級に通う子供・・・
彼は、中一・・・
時間はかかるが
中一の計算を一生懸命自力でこなす。
その彼に小4のプリントだけ渡し、
実質のほったらかしの状態で「特別支援」というありさま・・・
何のための特別支援か!
親御さんが、
「中一の計算プリントをお願いします」と要望を出すと
「計算だけでは入試は受かりませんよ」と宣う・・・
いやいや・・・
計算はめちゃくちゃ重要ですよ。
しかも公立の場合、1/4~1/3は計算ですし
それを取れれば受かる高校も数校あります。
私立では、約半分が計算というところもあります。
入試の事実も把握されてなく、
できるできないを、0か100かで見ていたら、
永遠に彼らは小学生のプリントばかりになることも想像できず・・・
子どもたちは、まだらにできる部分とできない部分がある・・・
という事実を体感できていない先生・・・
たとえば、アルファベットを順番に書けなくても
単語は覚えられるし、
方程式ができなくても
連立方程式ができるようになる事実・・・
いのちには、実に不思議な喜びがあるのです。
この複雑系の知を知らない限り
発達障害の生徒と一緒に学びあうことはできないでしょう・・・
ちょっと話がずれてしまいました・・・
とにかく、
子どもたちを取り巻く教育のシステムは
いのちを基準に見ていないということです。
わたしたちのいのちは、
国の道具ではない!
こうやって育ってきた私たち・・・
こうやって育てられる今の子どもたち・・・
それでもTVを見て鵜呑みにしますか?
それでも学歴、能力で生涯収入が決まってしまうことを
現実だもん、当たり前のことだもん、と言い切りますか?
事実は誰かが作ったシステムなのです。
それを無知に無考に容認したとき
本当に「現実」となってしまうのです。
その事実を作り替えることは
私たちにもできることなのです。
ときには、「ふざけるな!」と
立ち上がらなければならないのです。
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