「納得」のない世の中
崎谷博征医師、
安保徹医師、
千島喜久男医師
・・・
私には、本を通した名医がたくさんいます。
そして、その方々と、その理論を
本で紹介するジャーナリストも多いです。
また、身近にびわを紹介してくださった常連さんも
いらっしゃいます。
私は、その方々のお陰で、
健康に関する知識が増えました。
そして、その方々のおかげ様で
健康でいられます。
その人たちが、TVに出ることはありません。
TVとはそういうメディアです。
真実を語る人がでられない場です。
マスメディアを担うアナウンサーやコメンテーターも
生活がありますし、下手をすると命まで狙われかねませんので、
スポンサー(闇権力の)にへつらいを尽くし、忖度をしながら
真実をごまかし、話すしかないのです。
本当に悲しい世の中になったものです。
オリンピックの件もそうですが、
誰もが言い出しっぺの役目を果たせない・・・
昔語りで恐縮ですが、
以前会社勤めの時に、
会社の方針にある疑問が生じました。
当時、私はすでに「いのち」基準という教育をしようとしていましたので
そこから遠ざかる教育方針に納得がいかず
社長に提案書を書いたり
口頭でも伝えたりしました。
あまりにうるさい私に(笑)
社長からの回答がありましたが
納得がいかなかったものでしたので
「納得がいきません」とお応えすると
社長から帰ってきた言葉が、
「君の納得はいらない」
そう言われました。
会社とはそういうもの・・・
はい、そういう方も見えるでしょう・・・
おそらく、給料をいただいているのだから
それは仕方のないことだ・・・と。
そういわれ、私の甘さを指摘する方も見えるでしょう・・・
しかし、本当にそうでしょうか?
いのち基準でなく、
お金基準で考えるからそうなるのではないでしょうか?
お金を自分の上に置く・・・
お金を自分の人生の上に置く・・・
だからそうなるのではないでしょうか・・・
そもそも、納得がいらないのなら
当時あの会社でやっていた「教育」など不要になります。
教育の根本は「問い」を持つことだからです。
問いを持つな、
納得もいらない、
黙って働け!
大げさに言えばそういうことです。
しかし、「納得」というのは
いのちにとって一番の栄養です。
私は当時も子供たちに
少なくとも「なぜ?」を3回続けなさいと言っていました。
問いをもって、とことん考える・・・
なぜそうなるのか?➡解答①
①はなぜそうなるのか?➡解答②
②はなぜそうなるのか?➡解答③
この問いによって、記述問題が解けるからです。
これは、受験問題でもそうですが、
人生の問いもそうです。
問いは、必ず答えとセットで宇宙からやってきます。
問いを持てるということは、
その問いは、その人のいのちに必要だからやってくるのです。
社長のこの解答であれば、
誰か偉い人の言うままに
考えることもなく従う子どもたちばかりで良いことになります。
ならば、教育などいりません。
大げさに言えば奴隷になればいいのですから・・・
いまなら、会社がワクチンを打てと言えば打てばいいのです。
しかし、そこにいのちの首尾一貫性がなくなることになります。
知行合一もなくなります。
知ったこと、感じたことと
行うことがバラバラです。
このバラバラが、ストレスとなり、病となるのです。
私は、教育界に身を置く、小さな小さな一人の存在ですが
「納得」などいらないということに、それこそ「納得」してしまったら
教育する資格などありません。
宇宙の原理・原則をわすれた「教育」など
単なる奴隷づくりにすぎませんから・・・
今の朝ドラに出てくる伊達家の家訓のひとつ・・・
礼に過ぐればへつらいとなる。
さすがは、
老齢の権威者、秀吉に呼び出されても
納得がいかなければ
のらりくらりとかわしていた伊達正宗の言葉です。
当時も今も、社長への敬意と感謝はありました(す)が、
へつらいは別のものです・・・
しかし、そのへつらいが、
いまの悲しい世の中を作っているのではないでしょうか・・・
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